イメージイメージイメージイメージ経営者インタビュー第5回



沖 徳一 氏
  (株)サンオキ 代表取締役 沖 徳一 氏
Profile
沖 徳一 (おき・とくいち)
1941年,福岡県久留米市生まれ。57年に久留米市立城南中学校卒業後,新妻施工所入社。63年,東京都豊島区南長崎にて独立,71年に沖建材工業(株)設立。92年,板橋区南常盤台に本社を新築移転し,社名を(株)サンオキに変更すると同時に,沖ボクシングジムを開設,現在に至る。また,国土交通省建築施工管理技術検定委員,厚生労働省中央職業能力開発協会中央技能検定委員,東京都職業能力開発協会首席検定委員,(社)全国建設室内工事業協会全国理事及び関東支部副会長も務めている。



「「責任」と「誠実」から「和」が生まれる

西野
 まずはサンオキさんの歴史から教えていただけますか。
 

 私は18歳のころに新妻施工所という会社に見習いで入りまして,そこで約3年修行したあとに独立して,職人さんの親方などをしながら室内装飾販売・施工などを個人で手がけていましたが,昭和46年に正式に法人として発足(創業時の社名は沖建材工業株式会社)して,現在に至っています。
 
西野
 ご自身一代で会社を築き上げてきたわけですが,そもそも会社をつくろうと思われた理由は何ですか。
 

 最初は不純な考えでして(笑),職人として働いているときに,やはり自分が上のほうに行きたい,つまり職人に仕事を出す側になりたいと思ったんですね。ただ,実際に会社をつくってみると,会社というのは社会に貢献しないと存続していけないし,自分自身としても,会社が社会の役に立っていないことが良くないことだと感じ始めましたね。
 
西野
 会社の経営理念を教えていただけますか。
 

 やはり「責任を持つ」ということですね。うそとかオーバーなことは言わないで,自分のできる範囲内で誠実味を持って仕事にあたることです。社是も「和」という字を真ん中に置いて,「責任,和,誠実」としています。責任と誠実の中から和が生まれる。俗に“明るい職場”とか“元気な職場”などと言いますが,「責任」や「誠実」といったものがなければ元気にも明るくもならないし,「和」もできてこないのではないかと思っています。これは,創業以来,ずっと変わっていませんね。
 また,社訓は「智恵,忍耐,闘争心」としています。これはすべて私が持っていないもの,できそうにないことを挙げたのですが(笑)。現場に出ていて思ったことは,理論武装や情報収集など,いろいろ大切なこともありますが,私たち建築業界で働く人間には,特に「智恵」が必要ですね。仕事を進めるうえで,智恵を使わなければならない場面が,結構 あると思います。
 それから「忍耐」を挙げたのは,私どもは顧客がいらして仕事が成り立っているわけですから,少々のわがままをおっしゃったことに,いちいち腹を立てていても仕方がないんですね。また,納期が厳しいとか,いろいろ難しい条件の仕事を担当したり,時には人間関係がうまくいかないこともありますので,そういうときにも忍耐は必要ですからね。ただ,忍耐ばかりしていてもどうにもならないので,前向きに進むべきときにはどんどん進もうということで,「闘争心」を挙げています。

 
Profile
西野嘉良子(にしの・かよこ)
日本女子大学人間社会学部卒業後,札幌テレビ放送株式会社に入社。2000年10月に同社を退社後,フリーとなる。BS JAPAN,NHKラジオなどで番組を担当。
西野嘉良子さん

家庭訪問をして社員の資質を見極める

西野
 すべて社長さんご自身の経験に基づいた生きた言葉なんですね。ちなみに,沖社長は人材育成に熱心であると伺っていますが,その辺りについてはいかがですか。
 

 まず基本になるものは,礼儀礼節ですね。とにかく,あいさつがきちんとできることから始めます。部屋に入ってきて,人に聞こえないような声で言っても仕方がないですよね。聞こえて初めてあいさつしたことになるので,嫌でしょうけど,小さい声の人にはやり直しをさせています。
 私は,新入社員の家庭訪問をしているんです。それも,入社して2年目までは行なっています。その理由は,例えば入社2〜3か月を見ただけで,その人のことをいいとか悪いとか,決めてしまうのはおかしなことですよね。
 だから,どういう環境で育って,どういう親御さんに育てられたのか,知りたいわけです。例えば,私が家庭訪問してご両親と話をしていると,そこにうちの社員の弟さんが帰ってきたことがあるんです。そうすると,その弟さんは,私とご両親に対しても,軽く頭を下げただけだったんですね。ご両親のほうも軽くうなずく程度。これは,ある意味では,目を交わすだけですべてが伝わっているという考え方もできますが,一方で,こういう環境で育った人は,あいさつしなさいとか,実生活で言われてこなかったであろうこともわかるわけです。そうなると,まずその社員に対しては,どうしてあいさつをしなければならないか,というところから始めるわけです。
 
西野
 では,社員一人ひとりに合った教育の仕方を心がけられているのですね。
 

 そうですね。十人十色ですから,言わないとわからない人,頭ごなしに怒ってはだめな人とか,見極めなければなりませんね。

直傭制度と多能工育成

西野
 それでは次に,サンオキさんでは直傭システムを導入されていますが,そのきっかけは何だったのでしょうか。
 

 直傭を始めたのは昭和51年のことですが,私たち専門工事業者は慢性的な人手不足だったんですね。当然のことですが,顧客のゼネコンさんからは,できるだけ早く,それも質のいい仕事を要求されます。しかし,その当時の職人さんは,自分たちには腕があるからどこに行ってもお金は稼げる,どこででも生活できるという自負を持っていましたから,条件のいいところが他にあれば,そちらのほうに行ってしまいます。ですから,なかなか人手を恒常的に確保するのは難しかったんですね。
 また,私たち内装の仕事は,大きく骨組み,ボード貼り,クロス貼り,床貼りの4つに分けることができますが,それぞれの仕事を専門的にやる職人さんはいても,例えばこの中の2〜3の職種を行える,いわゆる多能工は当時はあまりいなかったんですね。私も職人の親方をやっていたので育てた職人が当時は10人ぐらいいまして,これからは一つのことができればいいという時代ではなく,骨組みもボード貼りも1人でできるようにならないとだめだ,という話をしたのですが,わかってもらえませんでしたね。
 そこで,新しい真っ白の人を直傭して,その人には内装の職人として,最初から2〜3の職種の仕事を教育・指導することを考えたんです。例えば,部屋に雨漏りが発生した場合,従来ならばその修理には骨組み,クロス貼り,ボード貼り,つまり職人さんが3人必要でした。ところが,私たちの会社では,これらを全部1人で半日ぐらいでやってしまうわけです。これは評判になって,顧客のみなさんからは随分かわいがっていただくようになりました。
 以上のように,直傭制度を導入したきっかけは,人手不足の解消と多能工の育成が目的ですね。
ユータックが内装業を変える!
西野
 サンオキさんでは「OSIPプロジェクト」というものを立ち上げていますが, このプロジェクトは具体的に何をなさるところなんですか。
 

 SI(スケルトン・インフィル)工法は,内装空間のプランを立てる自由度が高く,可変性に優れた工法で,マンションの内装工事の主流となっていますが,実際に施工現場に取り入れてみると,廃棄物や施工期間のことなど,もっと改善できる部分があるように思えたんです。そこで,SI工法の可能性を拡げるシンクタンクとして,「OSIP(オキ・スケルトン・インフィル・パネル)プロジェクト」をつくりました。
 ただ,そもそもプロジェクトをつくるきっかけとなったのは,会社も創業30年を迎えて,同じことばかり続けていても仕方がないと思っていたこともありますし,また,かなり前からリフォーム・リニューアルということが言われていましたから,プロジェクト自体は15年ほど前から考えていました。
 
西野
 このOSIPプロジェクトから生まれたユータックというのは?
 

 「UTKKS(ユータック)」というのはSI工法の新しいシステムで,環境のことを考えて現場での産業廃棄物を減らすためにプレカット材等を使用し,ユニット化したパネルと多能工による施工によって,工期短縮を図るものです。ちなみに,U=ユニット,T=多能工,K=工期,K=環境,S=産業廃棄物を意味しています。
 このシステムのメリットは,例えばマンションの3LDKを施工する場合,普通は大工さんやボード工などいろいろな業種の職人さんが入りますが,そのすべてを1人で全部やるところです。そうすれば,ほかの職人さんと仕事がかち合うこともないし,すべてを1人でやることで,その仕事に対して愛着がでてきますよね。そうなると,うっかりぶつけたとか,壊したとか,そういうことも減ってくるし,大事なところには手を加えておくとか,すると思うんです。そうすれば,周囲に迷惑をかけずに工期短縮もできるというわけです。
 産業廃棄物についても,私たち内装業でいちばん多いのはボードの残材ですけど,材料をプレカットして入れるようにしたのは,環境への配慮のほかにそれを処分する経費の問題もあります。例えば1億円で現場を請けたとすると,その経費は大体2%かかる計算なので,200万円になります。同規模のものが10戸あれば2,000万円かかるわけです。つまり,産業廃棄物を出さなければ経済的ですし,社会的にも問題になっているわけですから,当然の対応だと思います。
 ただ,ユータックは,あわてないでじっくり育てたいですね。すでに実際の施工例もあるのですが,システム自体はまだ完成しているとは思っていません。そもそも,完璧なものなどないですから,私はいつも“できているのは8割程度”と言っています。そうしないと,いいものをさらに良くしようという,前向きな姿勢にならないですからね。
 
西野
 さらに発展させていこうというお考えなんですね。では,ユータックが内装工事業界を変えていくというか,より良くしていく材料の一つになるという手応えはありますか。
 

 ありますね。パテントも取ってあるのですが,だからといって,自分たちだけのものにする必要はないと思っています。やはり私もこの業界で40年以上生きてきたわけですから,何かの役に立ちたいですしね。同業者の方でユータックを取り入れたいという方がいらっしゃれば,どんどんやっていただこうと思っています。実際に何社も視察にお見えになられていて,ご希望いただいた会社には使っていただいています。

ボクシングジムを始めた理由は…

西野
 今度は沖社長ご自身についてお伺いしたいのですが,ボクシングジムもやられていますが,こちらはどういう理由で始められたのですか。
 

 ボクシングジムを始めたのは,内装業の仕事の延長線上にあることなんですよ。先ほど昔は人手不足だったという話をしましたが,ボクシング部がある高校がありますよね。そういうところに行って,うちへ来れば仕事をしながらボクシングができますと言って,勧誘したわけです。もともと私がボクシングが好きで,もうお亡くなりになった協栄ジムの金平さんとも仲が良かったこともあります。私がジムを開く前から,金平さんのところのジム生をうちで預かって,働きながらボクシングをさせていました。
 ただ,練習時間があるので,仕事を午後の2〜3時ごろに終わらないといけないので,他の社員の手前もあるからボクシングをやる人は下請けさんに預けています。それがひょうたんから駒というか,平成7年に竹原慎二がミドル級の世界チャンピオンになったわけです。彼も仕事をしながらボクシングをしていたので,ボード貼りなんか一人前ですよ。
 
西野
 ボクシングの魅力はどの辺りにあると思いますか。
 
 最初は,ボクシングというのは1対1の勝負で,自分だけを頼りにやるものだと思っていました。その場で勝ち負けの結果がはっきり出るところが好きで見ていたんです。でも,それは少し違っていて,実際にその世界に入ってみると,確かに選手自身が強いからチャンピオンになれるのでしょうけど,そこまで行くには本当に数多くの方々にお世話にならないと,リングには立てないし,立たせてやることもできない。1人だけの力では何もできないということを,改めて知らされましたね。
 
西野
 ボクシングジムのスタッフや選手の方とも,よくコミュニケーションはとられているのですか。
 
 選手を集めてよく話すのは,「スポーツ選手の中でも,ボクシングの選手寿命というのは特に短い。ボクシングをやめた後の人生のほうがずっと大変だから,そのときに一般人として通用する人間になれ」ということです。このことは,相当きつく言います。ですから,礼儀礼節のことなどは,うちの社員と同じように厳しく言っていますね。
もう一度世界チャンピオンを出したい!
西野
 最後に,これからチャレンジしてみたいことはありますか。
 
 チャレンジというか,私には子どもが2人いますが,もう大人ですから,自分たちで思うように生きていけばいいと思っています。一方,会社ももう一人の子どもみたいなもので,これも早く独立できるように育てたいですね。あと何年とはまだまだ言えませんが,私が元気なうちに,後継者に渡せればいいと思っています。
 
西野
 ボクシングジムのほうではいかがですか。
 
 世界チャンピオンをもう1人出したいですね。ほんとうは,世界チャンピオンを1人出すこともできたわけだし,もう会社のほうに専念すればいいのですが,やはり欲というのは出てくるんですね。
 私が幸せなのは,人に恵まれ,運に恵まれ,環境に恵まれていることです。日本には数十,数百のボクシングジムがありますが,過去に世界チャンピオンが生まれたジムはほんとうに数える程度しかありません。一生続けても世界チャンピオンを出すのは難しいのですから,そういう意味ではありがたいことです。
 それをもう1人出したいというのですから,これはまさに夢なんですけど,やはり夢は死ぬまで持っているほうがいいですからね。
 

 


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