イメージイメージイメージイメージ経営者インタビュー第6回



白井 昇 氏
  (株)和泉園 代表取締役 白井 昇氏
Profile
白井 昇(しらい・のぼる)
1944年,東京都北多摩郡狛江町(現在の狛江市)生まれ。59年から造園会社,映画製作会社,電機会社で仕事を学ぶ。72年,和泉園創業。73年に個人営業から組織変更を行い,有限会社和泉園を設立。80年には業務拡大に伴い,有限会社から株式会社に組織変更。現在,株式会社和泉園代表取締役を務めるとともに,狛江造園組合組合長,日本造園組合連合会東京都支部幹事長,日本映像美術協議会常務理事として活躍。



仕事をやめるのも会社を起こすのも「雨」がきっかけだった

西野
 まずは,和泉園さんの創業のきっかけから教えていただけますか。
 
白井
 家業は農家だったのですが,私は学校を卒業してから最初に城田造園という造園会社に入りました。その会社には3〜4年いましたけど,昔の造園の職人というのは日曜・祭日は休みじゃないんですよ。1日と15日が定休日で, あとは雨が降ったら休み。天候によって左右されていたんです。
 それで,雨が降った日に,年中お邪魔していた近所の酒屋さんに居たら,そこの叔母さんの兄弟で東宝撮影所の運転手をしている人が来ていて,昼間からごろごろしていた私を撮影所に誘ってくれたんです。それで紹介されて,東宝の子会社の東宝ビルトという会社に転職して植木のセットなどを扱うようになりました。ただ,当時はテレビが台頭してきたころで,だんだん映画の仕事が減ってきてしまいました。
 それで今度は,友だちが務めていたこともあって,ある電機会社に入って働いていたら,車の運転中に後ろから追突されて,むち打ち症になってしまい,テレビチューナー製造部に配置変えになり4年間が過ぎました。
 そして,そのころ父が亡くなりまして,それを機に独立を考えたわけです。以前に務めていた造園会社をやめたのは雨が降っていたことがきっかけだったので,雨が降ってもできる植木屋はないかと考えたら,「貸し植木」というのが浮かびました。ただ,貸し植木についてはまったくの素人でしたから,とりあえず電話帳を見て,すでに営業している貸し植木屋さん何軒かに電話して値段を調べたりしました(笑)。あとは植木を運ぶのに4万円で中古の車を買いましたね。
 それから温室を造ることになったのですが,最初に修業に行った造園会社の親方が器用な人で,鉄骨で15坪ぐらいのものを2人で建てました。電機会社の退職金と母から借りたお金が全部で70万円。お金はこれだけしかなかったので,親方には謝礼のお金を払えないから,親方が働いてくれた分,自分も親方の仕事を手伝うということで(笑),何とか昭和47年に会社がスタートしました。
 
西野
 何か不思議なご縁がきっかけで,今の会社を始められたんですね。会社が軌道に乗るのにどれぐらいかかりましたか。
 
白井
 軌道にはすぐに乗りましたね。1年で利益が出ましたから。月に30万円ぐらいは稼いでいました。私が務めていた会社の月給が8万円ぐらいでしたから,材料費やガソリン代などを支払っても十分な額でしたね。
 
西野
 その当時は,植木を貸すような商売は,あまりなかったのですか。
 
白井
 ありましたけど,数は少なかったと思います。ただ,会社を始める前に務めていた会社が,みんな協力してくれたんですよ。最初の造園会社の親方がある銀行の支店長と懇意にしていて紹介してもらったりね。


Profile
西野嘉良子(にしの・かよこ)
日本女子大学人間社会学部卒業後,札幌テレビ放送株式会社に入社。2000年10月に同社を退社後,フリーとなる。BS JAPAN,NHKラジオなどで番組を担当。
西野嘉良子さん

西野
 いくつかの会社で働いていたことによって,自分で事業をされるときにいいヒントになったことはありますか。

白井
 勉強になったことはたくさんあります。例えば品質管理や労務管理のことなどは,電機会社に務めていたときに教えられたことですね。私がその電機会社に務めていなかったら,今は町場の植木屋だろうって言う人もいますよ(笑)。

目標は「植木屋のゼネコン」

西野
 次に,和泉園さんの経営理念について教えてください。
 
白井
 「燃える集団になろう。攻めの姿勢に徹しよう。負け犬根性をなくそう。失敗をおそれずチャレンジしよう」という社訓がありまして,とにかく前向きにいこうということですね。
 これは何かの本を読んだときに明電舎の社長の言葉が出ていて,それを参考にしてつくったのですが,やはり私自身が負けず嫌いの性格で,とことん勝負しようという姿勢の現れですね。

西野
 今は全体的に世の中が不景気で,守りに入ろうという会社がどうしても多いと思うのですが,そんな中でも攻めの姿勢は変わりませんか。
 
白井
 もちろんです。この10月から第30期に入りまして,前期はとにかく売上至上主義でやってきましたが,今期は利益を重視した経営姿勢に変えました。それから毎期ごとに目標を設けているんですけど,今期は提案型企業への転身を掲げています。
 今はどんな仕事でも,お客さんに言われたことだけをやっていればいいという時代ではないですよね。それは造園業でも同じです。お客さんの中には,いろいろなことをおっしゃる方もいるので,逆にこちらから提案をしたほうが商売になるのではないかと思います。実際に社員全員が実行しているかどうかわからないけど(笑)。
 でも,今みたいな不景気の中では,そういう方針・姿勢でいかないと勝てないということです。人のあとにくっついていてはダメだし,だからといって,2歩も3歩もリードすると嫌われるから,半歩リードすることが大切なんです。半歩なら目立たないし,これを毎年続けていけば,何年かたつと大きな差になっているわけですから。
 
西野
 それは納得できますね。それでは,和泉園さんの強み,ここがセールスポイントだというところはどこですか。
 
白井
 うちの会社は,受けた仕事は必ず自社でやるというのが原則で,どうしてもできないときにしか協力会社にはお願いしません。
 私が目指してきたのは,総合造園会社,言うなれば「植木屋のゼネコン」なんです。“植木に関しては何でもやります!”という姿勢で取り組んでいます。ですから,植栽の管理から貸し植木,切り花など,依頼された仕事は全部やります。
 そうやって,自分のところで何から何まですべてできれば,社員間の連絡も密になるし,例え何か苦情が出たりしても,すぐに対処することもできます。この点が,うちの強みですね。

運を生かして業務を拡張

西野
 和泉園さんでは,映画やテレビ,コマーシャルなどに力を入れていて,「装飾部」をつくられていますが,これはかなり造園業では珍しいケースではないかと思うのですが。
 
白井
 そうですね。テレビコマーシャルの仕事は月150本ぐらいはやっていて,おそらくその分野のシェアの60〜70%はうちが占めていると思います。
 やっぱりこれも,最初は以前に務めていた東宝撮影所に貸し植木を始めたことを話しに行ったら,当時は平社員だった人が偉くなっていて,仕事をくれるようになったんです。ですから,装飾部をつくった当時(昭和51年)からのお付き合いです。
 あの業界は一匹オオカミの人が多いから,そのころ偉い人の助手をやっていた人がみんな独立していて,うちに仕事の発注をしてくれるわけです。
 
西野
 その後,事業を拡大されて,貸し植木,装飾,造園と幅広くやられていますが,その狙いというのはどこにあるのですか。
 
白井
 それは先ほども言いました,「総合造園会社」になろうというのが第一ですが,そもそも貸し植木をやっていると,造園をやってくれとか,庭の手入れをしてくれとか,いろいろ頼まれるようになったんですね。そういう具合に自然に増えていったのであって,決して無我夢中に仕事を拡げたわけではないんです。
 
西野
 そうやって頼まれるということは,社長のお人柄もおありになったのではないですか。
 
白井
 考えてみると,人間,努力も必要なんだろうけど,やっぱり運ですね。自分のことを考えると,どうしてこんなにうまくいったんだろうって思いますね。
 創業当時,吉祥寺(東京都武蔵野市)のビル1軒で月に15万円になる貸し植木の仕事が取れたんです。そうしたら,私の姉が嫁いだ家の人とそのビル会社の専務が同級生で,その会社でまたビルを建てる計画があることを,姉が教えてくれたんですね。そこに営業に行って貸し植木を入れてもらったら,またその隣にビルができて,やっぱりそこにも入れさせてもらいました。
 そうしたら,今度は武蔵野市が商店を集めて開発ビルを建てまして,そこの組合の理事長になった人が肉屋さんだったんです。うちの親戚にも肉屋がいるんですけど,その理事長が親戚を知っていたみたいで,そのビルの仕事もいただくことができました。
 こういう感じで,どんどん仕事が増えていったんです。他にも,営業に行ったところの社長さんに「狛江に住んでる○○さんって知ってるか」と聞かれて,それがたまたま父が仲人をした人だったので知っていて,その縁で仕事をいただきました。こうなると,もう運としか言いようがないですよね。

造園業界が抱える問題点

西野
 これからの抱負というか,新たな展開・戦略などはありますか。
 
白井
 やはり会社も創業してから30年たって,あちこちに金属疲労が出ているので,そろそろ後継者を考えないといけない時期だと思っています。これがうまくいって,初めて安心できますね。自分の人生設計を,30代は勉強,40代は投資,50代は回収,そして60代で隠居(笑)。こう考えていたんです。これが少しずれ始めているので,早く若い世代を育てて引き継ぎたいですね。
 そのために,今期から財務関連はすべて専務に任せるようにしました。そういうことから,まずは慣れさせようと思っています。
 
西野
 社員教育についてはどうされていますか。例えば造園業の場合,庭をつくったり手入れをするときに,そこに住んでいる方と接する機会もあると思うのですが,そういう面についてはいかがでしょうか。
 
白井
 私自身はそういうことは何もしていません。造園と土木の部署のトップにはヘッドハンティングしてきた人を配置していて,そういったことはすべて任せてあります。その代わり,部課長会議のときにはそのトップの人たちにはいろいろ言いますね。
 
西野
 造園業界が抱える問題点というのはどのあたりにあると思われますか。
 
白井
 いまいろいろな委員会とかで話し合っている最中なんですけど,まず造園業界は営業が下手というか,営業をしないところが多いんですね。それなのに,ただ「仕事が来ない」と言っている。
 お客さんから電話がかかってきても,自分のところのペースで仕事をしようとしているから,すぐに先方に伺うなんてことはないですね。
対談写真 
うちでは,電話があれば,翌日には伺ってスケジュールの打合せをします。そのときこちらのスケジュールが混んでいたら,対応可能な時期をお話して,お客様が良ければ待っていただくようにしています。たいていの植木屋さんは,電話がかかってきても,「わかりました。そのうち行きます」ぐらいの対応しかしていないように思います。看板も上げていない会社もいっぱいありますし。でも,それでは商売とは言えないですよね。
 今はシルバー人材センターという高齢者の方に仕事を紹介する公益法人や,同様の部署が役所にあります。先日,狛江市では木の剪定などの仕事がシルバーセンターでどれぐらい扱われているのか聞いてみたら,1年間で500軒以上もあるんだそうです。狛江市には木造家屋が約1万軒あるので,これは全体の約5%にあたります。シルバーセンターは料金設定が低いので,例えば1軒4万円としても,およそ2,000万円分の造園の仕事がシルバーセンターに取られているわけです。それをどうやって食い止めるかということを,造園連(日本造園組合連合会)で話し合っています。
 やはり造園技能士とか土木施工管理技士とか,いろいろ資格があるわけですから,私たちはそれを前面に打ち出そうと思っています。各会社で看板をつくって,そこに資格について明記する。工務店の看板には,「1級建築士」とか書いてあるのをよく見かけますが,造園会社は何も書いていないし,それどころか,看板もかけていないところもあります。それではダメなんです。
 だから,例えばステッカーをつくって,「この店は日本造園組合連合会認定店です」などと入れて,それを貼ってもらうようにすればいいのではないかと思っています。そこまでやって,あとはお客さんに,プロの認定店に頼むか,料金の安いシルバーセンターなどに頼むか,選別してもらえばいいんです。

伐採した木はチップ化して地元に還元

西野
 造園業でも,伐採した木の枝や幹など,かなり大量の産業廃棄物が出ると思いますが,その処理についてはどのような取り組みをされていますか。
 
白井
 産業廃棄物の処理費は,上がることはあっても下がることはないだろうと思いまして,チップ化する機械を買って無料で農家や狛江市民の方に配っています。このチップは肥料になるので,農家の方は喜んで畑に入れてくれていますし,市民の方には狛江市のほうから配ってもらっています。
 それから,今まで枯れた植木の土などは全部捨てていたんですけど,元は鉢の土ですから悪い土ではないんです。これを客土するとき利用してしまえば,客土費用が安く済むわけです。こうして今まで月に60万円ほどかかっていた費用が10万円ぐらいになりました。
 
西野
 それは,うまい具合にリサイクルもされていますし,いいですね。
 
白井
 それから,狛江市内の一般家庭の人が,自分で剪定して出た枝葉を回収する仕事も始めました。今までは,そういうものは各家庭が燃えるゴミとして出していたのですが ,それをうちが回収してきて,チップにしています。
 週2回の回収日があって,これは市のほうからどこの家に行けばいいのかファックスで指示が来るんです。大体1回約40軒,重さにして1トン半ぐらいにはなりますね。
 これが狛江市でできるのは,うちだけだと思います。それは,私の家がもともと農家だったから,みんな知り合いなわけです。そこに1軒1軒,チップが必要かどうか聞いて回るわけです。つまり,うちが回収からチップ化,そしてチップの配付まで,すべてできるようにネットワークをつくったんです。
 このチップは,畑に積んでおいて,市民の方にも自由に持って行ってもらえるようにもしています。狛江市から出たものは,すべて狛江市の中で循環している。いい循環だと思います。

日本中のお酒を集めて酒屋をやりたい

西野
 今度は社長ご自身についてお話を伺いたいのですが,ご趣味は?
 
白井
 本はかなり読みますね。主に歴史物とか,松下幸之助とか本田宗一郎とか,経営者が書いたものが多いですね。最近はそうでもないけど,以前は月に5〜6冊は読んでましたね。
 
西野
 今後,仕事でもプライベートでも,やりたいことはありますか。
 
白井
 仕事については,もっと会社の基礎をしっかりとして,先ほども話したような総合造園会社を目指したいですね。
 プライベートのほうは,人間30年も働けば十分だから,早く定年になって逃げたいですね(笑)。小型船舶免許を持っているので,河口湖にでも行ってモーターボートを買って,陽気のいいときに釣りでもやっていようかと。
 あと,酒屋をやりたかったんですよ。日本中を歩いて回って,その土地土地の名酒を集めてね。例えばお客さんを自分の家に迎えるときに,その人の実家がどこかわかったとすると,その地元のお酒をごちそうすれば喜んでもらえるんじゃないかと思ったんですよ。
 外国では,すぐにホームパーティーをするでしょう。将来,日本もそうなっていくかどうかわからないけど,そういう酒屋があれば,パーティーを開くときにお酒を買ってきて振る舞えば,きっと同じ一杯でも酒の味が違うんじゃないでしょうか。
 日本にもそういう時代が来るんじゃないかと前から思っているんだけど,なかなか来ないんですよ(笑)。
 

 


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